2022年2月27日 知らない鳥を埋めた話

 

こういうシチュエーションになったらこれをする、みたいな縛りを持っているか。僕にはある。「あんぱん食べながら牛乳飲んでる人を見たら『張り込みかよ』と言う」だ。前回起きたのは確か2年前くらい。数年に一回くらいは遭遇するscene。遂行できた時は大きな経験値が入る、気がしている。

 

あと、もう一つ。これはどちらかと言えば起きて欲しくないことだが、道端で鳥が死んでいたら土に埋めること。これも、毎回遂行している。一度は南草津。もう一度は家の近くで。だいたい5年に一度くらいの確率で起きる。そして、それは毎回道端だ。

 

特に南草津のときなんかはJRの駅前で、その鳥は死んでいて、いつ人に踏まれてもおかしくない状況だった。僕は鞄に入っていた大学の重要な書類の上に鳥を乗せて運んだ。それが良かったのか悪かったのかがわからない。その行為における善悪の判断が、いまだに自分でもうまくできていない。自分の中の第三者は「優しいね」とも言わないし、どちらかといえば「変わってるね」が正しいのかもしれない。感覚で言うならば、そうだな。空から伸びた糸に自分の四肢が繋げられていて、操り人形みたいに身体が動いた。そんな感じだ。

 

一つ感じたことがある。数年前、飼っていた犬が病気で死んだ。今は家から車で20分ほどの霊園にいる。それはさておき、さっきの鳥の話に戻る。二度目は家の近く。人通りの少ない道でスズメが死んでいた。家の近くだったので家からなんらかの道具を持ってきて、それを使って土の上へと運んだ。穴を掘って埋めて、それからその辺にあった棒を、地面に刺した。名前は「チュン太」に決めた。そして、手を合わせた。それから数日間、窓からはその棒が小さく見えていた。チュン太の存在が遠くの霊園にいる犬よりも近く感じるようになった。お墓ってなんなんだろうなーとか、自分の手で埋葬することには何らかの意味があるのかなーとかいろいろ考えるようになった。

 

もしそこにビルが建つと決まったら、たぶん、チュン太のことが頭によぎるんだろう。